支援事業 – 2012

2012年12月7日、ドルトムントより約60kmほど南東に位置する丘陵地帯アーンスベルクの高等学校で我々のプロジェクトを紹介することになった。今にも雪が降りそうな寒い中、約束の時間より早く到着すると、プレゼンが行われる講堂ですでに技術担当の生徒たちが準備に忙しそうであった。このたび当校でプロジェクトを紹介させていただけることになったのは、大震災以来家族全員で当方のプロジェクトを支援してくださっているフーベルト・ベーマー博士の口利きによる。彼の子どもたち2人はその昔当校に通学し、小児科医であり街の名士である彼自身も当時当校の支援団体の会長を20年務めた。今回の講演のために当校は貴重な授業時間2時間を下さり、ホームページに当方のプロジェクトを掲載することを約束してくださった。あれからすでに21ヶ月が過ぎ、人々、特に青年たちにとって過去の出来事になりつつある大震災の悲惨な現状を聴いた彼らの心に何が残ったであろうか。

2012年12月2日にドルトムントの外国協会で恒例のインターナショナルクリスマスパーティが開催された。今年で何年目になるであろうか、すでに伝統となったこのイベントはそもそも我々ドルトムント独日協会の提案により、それまで各国の協会がそれぞれ行っていたクリスマスパーティを合同で行うことになった。今年も韓国、フランス、ドイツ、ギリシャ、スコットランド、アフリカ、ラテンアメリカなどのグループにより合唱、歌、バイオリン演奏、太鼓、舞踊などが披露された。独日協会としては、例年の池坊生花グループ(指導藤本洋子氏)によるすばらしい展示会に加え、今回ヒルフェ・フュー・ヤーパンのために義援金をお願いすることにした。家族中でいつも支援をいただいているベーマー・幸子さんのお手伝いで我々はゲストの方々の名前を日本語で筆書きし、寄付をお願いした。更に日本からの支援者清水美里氏デザインのオリジナルTシャツ(ブランド名百風)も大変好評であり、当日約200ユーロの義援金が集まった。ボッシュ財団から青年大使として派遣され約2週間の日本滞在からつい先ごろ帰国したばかりの17歳のタベア・ベッカーさんが、日本の印象を生き生きと語ったのがとても印象的であった。

2012年11月24日にデュッセルドルフ市所在のハインリッヒ・ハイネ統合学校で、設立30年を記念してオープンドアデーが開催された。在校生1200人、教師は100人を超えるこのマンモス学校で英語授業を担当しているウテ・ヴィンケルス氏は今年10月に日本語分科会を校内で立ち上げた。現在参加者は7人で15歳と16歳の男女の生徒である。彼らのうち2人の生徒は今後ギムナジウムに進み、そこでも日本語を第二外国語として選択することを決定した。
ヴィンケル氏からこの記念すべき日に日本文化を紹介したい、ついては筆で希望者の名前を日本文字で書き、ドルトムント独日協会の日本支援プロジェクトに寄付していただくという提案がされた。当日折り紙の応援の方々にもお願いして会場に駆けつけた。校内では学校紹介の様々なプログラムが企画され、カフェでは父兄からの寄付であるケーキや飲み物などが販売され、この大きな学校も人ごみでごった返した。当方の折り紙と書道のデスクにもヴィンケル氏やその生徒たちの周到な準備と宣伝のお陰で、生徒を始めその父兄そして教師陣も次々と押し寄せ、多くの人々が折り紙や自分の名前が書かれた半紙を手にすることになった。校長のギュンター氏、副校長のペニッヒ氏に次回のイベントでの参加も約束した。

2012年11月10日と11日に刃物で有名なゾーリンゲン市で今年2度目の漫画・アニメコンベンションが青少年団体ユコンの主催で行われた。第一回目は今年4月に開催され、2日間で約700人の来場者を迎え関係者一同ほっとしたところであった。ドルトムント独日協会は招待を受け日本支援プログラム“ヒルフェフューヤーパン”を紹介させていただいた。(4月27日・28日のレポート参照)今回は前回の良好な結果が口コミで伝わったのであろう、初日にすでに1000人を超える来場者があり、2日間で約1500人が熱気のある会場で同好の仲間たちと一時を過ごした。舞台での出し物も前回同様和太鼓演奏、コスプレコンクール等々に加え今回は知名度の高いバンドも出演し、また独自の作風を競うより多くのコミック作家の参加や、コミックやファングッズを販売するコミュニティスタンドも増え、ますます充実したビッグイベントになった。
さて、今回も《福島の現状とプロジェクト》と題した講演がプログラムに組まれ、お話しのあと義援金をお願いした。嬉しかったのは、会場に座っていた若いカップルが、“貴女の講演が聴きたくて4月に引き続き、今回もコンベンションに来た”と言ってくれたこと。更に主催者の提案で日本語ワークショップも今回行うことになった。“あなた方は1時間半後には日本語で自己紹介ができるようになりますよ”という呼びかけに応じワークショップに顔を出したのは、14歳から最高46歳の平均年齢約20歳の男女約30人。しつこいほど何度も何度も練習されられているうちに、1時間半後には出席者全員が自分の名前、国籍、職業、年齢、趣味そして数字を1から100まで言えるようになった。“こういう授業だったら学校でももっと学べるのに、、”という出席者の一人の声が耳に嬉しく響いた。

今回のアクションでは合計1100ユーロ(約11万円)以上の義援金が集まった。パートナーの福島誠司さんの呼びかけで日本の皆さんから寄付していただいた浴衣を販売し、やはり日本から届いた遊戯王のカードや日独の支援者からいただいた折り紙と引き換えに寄付を募った。主催者からの寄付も大きい。多くの方々に支えられこのたびの成果を挙げることができました。ハップニングを一つ報告。福岡県出身のユニークなSayokoさん。現在ドイツに2ヶ月間滞在中ということで、自称漫画オタク。ヨーロッパのコンベンションを回っているとのこと。初日にフラッと会場に現れ、2日間手伝っていただくことになった。着付けもできる小夜子さんのお陰で浴衣の販売にも拍車がかかりました。ありがとうございます。今後も皆さんのできる範囲で一緒にプロジェクトを継続するためにがんばりましょう。よろしくお願いいたします。

2012年11月5日現在の義援金額 188.695,16 ユーロ(約1.880万円)(135.000ユーロ沖縄県ユースホステル協会に送金済)

2012年11月3日ドルトムント第一柔道柔術クラブの創立60周年を祝うイベントが同クラブにより開催された。60周年目にあたるこの1年間様々なイベントが行われてきたが、そのクライマックスとなるべき武道ショーで義援金を募ることが決定された。“公益団体としての責任をこの機会に果たしたかった”と同クラブの副会長フランク・レーター氏が述べる。白羽の矢が立てられたのはドルトムント独日協会の日本支援プロジェクトである。会長のオリバー・ゲルンハート氏の巧みな司会のもと5時間にわたり繰り広げられたショーでは柔道、柔術、和弓、空手、剣道などの武道をはじめ和太鼓演奏、ダンス、書道、若者に絶大な人気を誇る歌手のデュエットなどが次々と披露された。我々独日協会はいつものように沖縄滞在中の福島の子どもたちの笑顔いっぱいの写真や感謝の手紙などがイラストされているポスターを掲げプロジェクトを紹介し、福島の子どもたちが思い切り野外で新鮮な空気を吸い、遊び、健康な食事をとり、故郷で生活するストレスから一時的でも開放されるようにと支援をお願いした。クラブの会員はもとよりショーの参加者は皆ボランティアで入場料も無料。貧困者が多く住んでいるこの一角で、300人を数える来場者の中に子どもたちの姿も多く見えたが、主催者と我々の心からのお願いが通じたのであろう、約4万円の義援金が集まった。軽食と飲み物を販売していたドルトムント・トルコ・イスラム教区の代表者が売上げの一部を寄付してくれたのも大変嬉しかった。出場者を入れ400~500人に上る老若男女が全員一丸となり福島の子どもたちを応援してくれた一日であった。

2012年10月25日にデュッセルドルフのプロテスタント系慈善団体ディアコニーでプロジェクトの講演が行われた。テーマは“あれから19ヶ月-福島の現状とドルトムント独日協会の日本支援プロジェクトの紹介”。共催団体のディアコニーによりゲストのために飲み物とセルフメイドのケーキが用意されており、アットホームな雰囲気の中で講演がはじまった。大震災から19ヶ月を過ぎた福島第一原発の状態、及び福島県民の置かれている状況が詳細に述べられた。遅々として進展しない復興、果てしなく除染を続けるほかに自分の故郷に戻る道が残されていない彼らの悲惨な状況が語られた。福島の3つのF、福島第一原発事故、風評被害、風化に講演者のシュルターマン容子は4つ目のF“不信”を付け加えた。

2012年9月25日に多民族祭り“bUNt International”祭(ブント・インターナショナル)が今年もウナ市で開催された。ドルトムント独日協会がこの恒例の行事に参加するのは今年で5回目である。ほぼ1年前のお祭りの様子はすでに当ブログでも紹介させていただいた。今年は例年お願いしている和太鼓グループ”希望太鼓“の演奏、ウナ市の折り紙グループの方々による折り紙指導と販売に加え、浴衣を販売することになった。日本のパートナー福島氏の強力な援助で日本から浴衣を送っていただいた。新品同様の浴衣に立ち止まる、または購入する人々も少なくなかった。太鼓もさながら、折り紙グループのパフォーマンスが今年は特に聴衆の関心を集めることになった。XXL折り紙と題し、観客がそれぞれ1mの紙で各セグメントを折り、最後にそれらを組み合わせて友好と連帯の輪を完成させた。寄付、折り紙・浴衣販売で合計約330ユーロの貴重なお金が義援金口座に振り込まれた。

2012年9月17日現在の義援金額 187.396,- ユーロ(約1.870万円)(135.000ユーロ沖縄県ユースホステル協会に送金済)

2012年8月31日にポツダム市の郊外にあるプロテスタント系のクラインマッハノウ小学校で義援金引渡しが行われた。当校の子どもたちがスポンサーランで3.152ユーロ分走ったのでドルトムント独日協会のプロジェクトに是非寄付したいと、校長のレギーン・クナプケ氏から連絡があり、招待された。当校では一週間のまとめを毎週金曜日に行い、司会は各クラスが交代で行う。今回は“鷹”グループが担当で、集会はまず英語の唄を皆で歌うことに始まり、その後司会者がスポンサーランについて報告をした。
注:スポンサーランとは:ドイツの子どもたちが寄付金を集めるときによくとられる手段である。まず子どもたちは自分の家族や近所の人々に話しかけ、または企業に出向き、寄付金の目的を説明し、決められたルート一周につきある金額を寄付してくれるよう交渉する。
《司会者の解説》
4月20日にスポンサーランが行われた。参加した子どもたちにとってもとても楽しいイベントだった。道端に立って応援してくれる子どもたち、幼稚園児、大人たちの声援で走者たちは一層がんばって走った。大人の中にも一緒に走ってくれた人がいた。走るルートも景色が変化に富み飽きずに走れた。一周するごとにゴムバンドを手首にはめる。子どもたちがこんなに何周も走るとは思わなかったのであろう、最後にゴムバンドが足りなくなったことは大変残念だった。

その後義援金の引渡しがおこなわれた。大きな封筒に入った現金の重さを手に感じることができた。その重さは子どもたちの心の重さでもある。その後ドルトムント独日協会による福島支援事業のプレゼンテーションが行われた。福島の大自然の四季折々の写真を見る子どもたちからその美しさに感嘆する歓声が上がった。現在も続く福島の厳しい状況のお話しの後、最後に福島の子どもたちの沖縄滞在中のはじけるような笑顔を紹介し、この事業を今後も続けると約束すると子どもたちの顔に笑顔が広がり、大きな拍手が起きた。
どのような経緯で30万円もの大金を我々の支援事業に下さることになったのか尋ねた。まず福島の子どもたちのためにスポンサーランで集めたお金を使おうということになった。当地のメディアではもうあまり報道されないが、福島の問題はまだまだ火急な問題だと考えられた。インターネットで知ったドルトムント独日協会の支援事業について生徒たちと話し合った。その事業では子どもたちがプロジェクトの中心となっているから、という理由が決定的であったとのことだ。

2012年8月25日に独日青少年交流プログラムの一環としてプロジェクト“ヒルフェ フュー ヤーパン”の講演がザクセン連邦州のザイダ市で行われた。この児童・青少年二国間交流は日本ユースホステル沖縄県協会とドイツユースホステルザクセン州協会が主催しており、昨年の東日本大震災の年を除いて10年来毎年開催されている。沖縄国際ユースホステルのマネージャー福島誠司氏が、ドイツの環境学習を日本の子供たちにも是非体験させたいとして始めたものだ。福島誠司氏は周知のようにプロジェクト“ヒルフェ フュー ヤーパン”の日本のパートナーである。
今年の交流では東日本における三重の惨禍が大きな関心事となった。当二国間交流のスタート時より通訳を務めているシュルターマン容子が、日本支援プロジェクトのプレゼンを行った。交流の参加者である独・日の青少年を含む聴衆は講演で福島県民、特に子どもたちの置かれている厳しい現実について話を聴くことができた。参加者は一様に心を打たれ、プロジェクトが今後も継続されるよう願い、青少年たちもお小遣いを奮発して協力してくれた結果500ユーロもの寄付金が集まった。自分の故郷に帰ったらこのプロジェクトを皆に伝え何とか寄付を集めたいとの声が特にドイツ人の青少年から聞かれた。
当交流のリーダーとして今回も来独し、沖縄のインターナショナルスクールで教鞭をとる土屋直子さんからドレースデン空港でのお別れの日に封筒を手渡された。そのメッセージの一部をここで紹介したい。
《・・・ドイツに来て過ごす2週間はとても大切な時間で、毎年刺激を受けて帰国します。その中で今年は特にHilfe für Japanの活動や容子さんのお話、そしてドイツの方々の思いを知り、今まで何をやってきたのだろうという自分に対する無力感とともに自分にもできることがあるという希望を感じることができました。日本に帰り、まずは自分の使命である“伝える”ことから始めてみます。そしてそこから広がる可能性を信じ、その方法を全力で探してみます。またその時にはいろいろ相談にのって下さい。少しですが、まず一歩、自分のしたい事、できる事として、お金を包みたいと思います・・・》封筒には300ユーロのお金が入っていた。

2012年8月23日現在の義援金額 182.903,- ユーロ(約1.820万円)(135.000ユーロ沖縄県ユースホステル協会に送金済)

2012年8月23日このたびプロジェクト”Hilfe fuer Japan”(ヒルフェ・フュー・ヤーパン=日本支援)第三弾が日本のパートナー団体沖縄県ユースホステル協会の多大なご尽力により無事終了いたしました。117人の福島の子供たちが故郷の福島県ではできないような体験を沖縄の大自然の中ですることができた4週間、彼らのはじけるような笑顔を毎日ブログで見ることができ、父兄の方々のありあまる感謝の言葉を聞く事ができました。 他の福島の子どもたちを対象にした支援プロジェクトでは骨折や何針も縫う怪我人が出ているとのこと。当方のプロジェクトでは過去においてもそのような怪我人が出なかったことは幸いです。病気の症状を示す子どもたちがいたものの、無事故をお伝えできるのはひとえに沖縄で子どもたちのお世話をしてくださる方々の深い経験と思慮深い行動にゆえんするものと確信しております。
発病した子どもの症状は川崎病のそれに似ているという医師の診断です。はっきりした原因は不明ですが、セシウムが原因とも、または傷ついた細胞を正常な細胞に戻す際に病気のような症状が出るとも言われています。それは、治療が子どもたちの体で起こっているから生じることで、今後ももっとそのような事が起こるだろうとの医師の方々の判断です。
とにかく今回も無事に終了できたこと、それもひとえに沖縄国際ユースホステルの福島ご夫妻をはじめスタッフの方々、多くのボランティアの方々、沖縄県、個人、企業による多大なご支援によるものと、ドイツで寄付をしてくださった多くの人々を代表し感謝の言葉を述べさせていただきます。福島の惨憺たる状況は震災後約1年半経つ現在も変っていません。我々は当事業がドイツで集められた多額な義援金を基盤に実施されていることを自覚し、今後も可能な限り長期間継続できるようドイツの支援者、協力者の方々とともに募金活動に一層力をいれて行く所存です。
“ヒルフェ フュー ヤーパン” 第四弾は、平成25年3月23日(土)~ 4月5日(金)13泊14日間で計画しております。
皆様には是非今後もプロジェクト“ヒルフェ フュー ヤーパン”をご支援くださるよう心からお願いいたします。

2012年8月8日現在の義援金額 181.887,75 ユーロ(約1.800万円)(135.000ユーロ送金済)

2012年8月6日、広島と長崎に原爆が投下されてから67年。ドルトムント市に所在する7つの平和団体との共催でドルトムント独日協会は、福島原発事故が起きた昨年に続き今年も核兵器・原発反対のイベントを開催した。ドルトムントのシンボルとされる市の中心にそびえるライノルディ教会を出発、広島広場を経由し、広島で被曝した肥田氏により植樹されたイチョウの木の下での詩の朗読の後、“原爆と人間”展の会場であるホールに向かうこと約45分の行進であった。会場ではドルトムント市長による反核・脱原発スピーチに続き、長崎で被曝し、過去に何度も来独し平和活動を行っていた早田一男氏のスピーチが予定されていたが、氏は体調不調のため念願のドルトムント訪問がかなわず、メッセージが代読された。その後シュルターマン容子が福島の放射能、被災者の状況及び日本で最近漸く盛んになってきた反・脱原発運動について話をした。夏休み中にも関わらず参加者は100人を超えたが、邦人の参加が極端に少なかったのが目立った。ドイツ人参加者の『どうして日本人は来ないの?』という問いに返す言葉もなかった。

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2012年7月23日に117人の福島の子供たちが沖縄に向かった。彼らは8月20日まで沖縄に滞在して新鮮な空気を胸いっぱいに吸い、思い切り身体を動かし、美味しい食事をたくさん食べて元気になって福島に帰るであろう。我々のプロジェクト“Hilfe fuer Japan”(ヒルフェ・フュー・ヤーパン=日本支援)も今夏の事業で3回目を迎えた。ここまで続けてくることができたのは、プロジェクトを支援してくださる実に多くの方々の温かい心があればこそ。現地で子どもたちのお世話を親身になってして下さる沖縄国際ユースホステルのマネージャー福島さんご夫妻、スタッフの方々そして多くのボランティアのヘルパーの方々にはこの場をお借りして心から感謝の気持ちを表明いたします。http://jigyo.okinawa-yha.org/?m=20120723

大震災直後ドルトムント独日協会は募金キャンペーンを繰り広げ、想像を絶するほどの義援金が集まった。しかし第一回目の事業で111人の福島の子供たちとヘルパーの方々計約130名が4週間沖縄滞在するためにかかる経費は、航空運賃も含めると、こちらの想定をはるかに超えるものであった。26年前のチェルノブイリの原発事故後、被災地の子供たちをここ20年来毎年受け入れている団体を目標に、福島の子どもたちを今後長期的に沖縄で受け入れるというプロジェクトをスタートさせたのはよいけれど、第一回目の経費だけで全ての義援金を投入しても足りないくらいであった。しかし慈善団体国際カリタスがその窮状に救いの手を差し伸べてくれた。第2回目の事業では沖縄県が子どもたちの航空運賃を全額補助してくれた。そして今回の第3回目では沖縄県による航空運賃の一部負担に加え沖縄所在の企業、個人、そして子どもたちの保護者の方々から援助の手が差し伸べられた。今後末長く当プロジェクトを存続させるために参加者による費用の一部自己負担も導入された。日本のパートナーも将来に向け募金をスタートした。このように援助のリングは広がりつつある。今後も皆さんのご支援を得て、当プロジェクトが末永く存続するよう一緒に力を合わせてがんばりましょう。

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2012年7月21日にボンの一地区バット・ゴーデスベルクで欧州囲碁大会のオープニングセレモニーが開催された。この日から2週間にかけて世界各国から囲碁の愛好家とプロが集まり対戦する。ドルトムント独日協会はオープニングセレモニーに招待されプロジェクトを紹介することになっていた。声をかけてくれたのは、独日協会が東日本大震災以来行っている募金活動の一環として主催したチャリティコンサートにすでに何度も出演してくれた和太鼓グループ“Senryoku Daiko”の代表ペーター・ヴィーゲルマン氏である。いつものように我々はプロジェクトのポスター、ビラ、大震災の写真集、そして募金箱を持って駆けつけた。ホルストはこれもいつものようにブースの近くを通りかかる人々に積極的に話しかけポスターを見せながらプロジェクトを説明する。私はプロジェクトのプレゼンのために用意された部屋で福島の現状をお話し、寄付をお願いした。震災後16ヶ月経ち、世界的な金融不安を背景に人々のお財布の紐もなかなか固く募金も厳しくなっているが、プレゼンで厳しい現実に直面している福島の住民の現状を聞き、少人数でも寄付をしてくれる人がいることはとても励みになる。また今回オープニングでバット・ゴーデスベルクの区長の隣席に座り、次回プロジェクトのプレゼンをボンでするときには是非市庁舎の一室を無料で提供させてくださいとの言葉があり、とても嬉しかった。

2012年6月30日現在の義援金額 181.887,75 ユーロ(約1.800万円)(95.000ユーロ送金済) 

2012年6月3日、ドルトムントエネルギー会社DEWの支援でドルトムント独日協会主催の日本デーが開催された。『日本の伝統・近代文化』と題し、和太鼓グループ“Kibo Taiko”の力強い演奏でスタート。続いて前川雄司氏が演歌を披露、日本の心を歌う。今回のハイライトは着物ショーであった。着物講師の澤葉子氏の言葉にはつくせない細心な準備、指導、着付けで10人以上の子供さんを含む老若(?)男女のモデルさんたちが次々と登場。四季折々、TPOにより異なる多様な着物とそれにマッチした豪華な帯、それらを披露するモデルさんたちのあでやかな姿に観客は魅了された。趣味で着物を集め始め、現在は100枚以上の着物と帯などを所有するルート・イェシュケさんの好意で展示された金糸銀糸を豊富に織り込んだすばらしい着物の前をモデルさんたちが優雅に歩く姿は、昔市電の車庫として使われ現在イベント会場に姿を変えた、どちらかと言うと殺風景なドルトムント北部の広い会場“デポー”にあたかも花が咲いたようであった。
伝統文化と対照を成すのがコスプレ・ロリータコンクールであろう。創立22年のドルトムント独日協会の歴史で、着物ショーとともに始めての試みであった。Jポップを好むドイツの若い世代に来てもらいたい、そして彼らに日本の伝統文化も知ってもらいたいとの思惑が当たり、会場にはいつもより多くの若者たちの姿が見られた。パンク姿のお姉ちゃんたちが真剣な顔で折り紙に取り組んでいる姿を見るチャンスはなかなか無いであろう。
ドルトムント独日協会が東日本大震災直後立ち上げたプロジェクトを紹介するブースには、震災後1年以上経った現在でも熱心に耳を傾ける人々の姿があった。このたびの日本デーでの折り紙と浴衣販売の収入、及び義援金合計約800ユーロは全てプロジェクトに寄付される。
イベント開始の1~2時間前に土砂降りになり、心配された客足も300~400人の来場者を迎え、関係者一同胸をなでおろしました。ご協力いただいた多くの皆様、ありがとうございました。

訪日から帰宅してまもない2012年4月28日にボッホムルール大学のウルリーケ・ヘルリッヒさんとロミーナ・マランドリノさんから嬉しいニュースが入った。昨年11月に5日間にわたり日独友好150周年記念の一環としてボッホム大学で日本週間が開催された。学生たちはその期間中シンポジウムなどで日本の学生たちと知り合い、意見交換する機会が持てた。多くのドイツの学生たちは折り紙、俳句、生花などの日本文化もワークショップで体験することができた。日本に留学したい学生たちのために日本情報デーも開催された。その日ホームメードのケーキを販売し、その売上げを東日本大震災の被災者のために寄付する提案がなされた。ケーキを寄付してくださいと言う呼びかけに多くの学生からゾクゾクとケーキが届けられ、さらに日本週間の主催者、インターナショナルオフィス、皮膚科、静脈科、アレルギー科のクリニックが飲み物やスタンドを提供してくれた。最終的に300ユーロを超える売上げを記録し、さて何処にこれを寄付しようかと思案。主催者の一人マランドリノさんの提案で、福島の子どもたちをリフレッシュのために沖縄に招待しているドルトムント独日協会に白羽の矢がたてられた。
義援金の引渡しに招待されたシュルターマン容子氏は、福島の子どもたちは目下県外でしかのびのびと遊ぶことができない。今後もプロジェクトをできるだけ長く続けたい。そのために今後も多くの義援金を必要としていますと、感謝の言葉を述べた。

2012年4月28日、29日にゾーリンゲンの青少年有志グループYUKONによるコンベンションが開催された。ユコンコンベンションは日本の漫画やアニメファンのフォーラムとして、コスプレコンクール、カバーコンクール、ショー、バンドの演奏、ゲーム、コミュニティスタンドのほかに漫画作家を招きワークショップなどを計画しているとのこと。代表者のユング氏から協力依頼があったとき、ドルトムント独日協会が東日本大震災直後立ち上げた福島の子どもたちのための支援プロジェクトを紹介させて欲しいとお願いした。当方のホームページでHilfe fuer Japanプロジェクトを見たユング氏から早速返事があり、プロジェクトのためにコンベンションで義援金を募る、更に賞品つきのくじを販売しその売上金を全て寄付したいとのことであった。その上500人収容の講堂でプロジェクトを紹介させてくれるという願っても無い申し出があった。
ゾーリンゲン市のギムナジウムの一階と地下を借り切った会場には開場数時間前にはすでにコミュニティスタンドが勢ぞろい。アニメ、漫画ファンたちが好みそうな可愛いハンドメイドの様々なグッズがところ狭しと並んでいる。和太鼓グループ『震太鼓』も出番を待っている。漫画作家もそれぞれの作風で漫画を書いている。碁盤も置いてあり、これが結構人気があり席が空くことがなかった。カフェテリアではお手製のケーキが色とりどりに並んでいる。我々もプロジェクトのポスターを掲げ、割り当てられたコミュニティスタンドに大きな義援金箱とドイツと日本の国旗を立てて待ち構える。会場では青少年向けのラジオ番組が一日中ライブ報道をしている。コスプレに身を包んだ一見怖そうな青少年たちは礼儀正しくとても感じがよく、カメラを向けるとしっかりポーズを取ってくれる。舞台で行われるパフォーマンスも玄人はだしの司会で一分の遅延もなく進行。両日の観客動員数はほぼ700人に上った。
我々のプロジェクトへの若者の反応はというと、大震災後1年以上経過し遠国で起きた災害は、楽しみを追及することで忙しい若い人々にとってすでに過去のものであろうと考えたのは杞憂に過ぎなかった。4月中旬に福島、宮城の被災地を訪れ、その生々しい印象を語る声に多くの青少年が真剣に耳を傾けてくれた。漫画やアニメを通して日本文化、日本に特別な関心をもつ若者が多かったからであろうか。漫画やアニメは今やまさに日本が外国に発信できる数少ない日本文化であり、このドイツの地で確固とした地位を得ている。

2012年4月20日にスポンサーランが行われた。参加した子どもたちにとってもとても楽しいイベントだった。道端に立って応援してくれる子どもたち、幼稚園児、大人たちの声援で走者たちは一層がんばって走った。大人の中にも一緒に走ってくれた人がいた。走るルートも景色が変化に富み飽きずに走れた。一周するごとにゴムバンドを手首にはめる。子どもたちがこんなに何周も走るとは思わなかったのであろう、最後にゴムバンドが足りなくなったことは大変残念だった。
その後義援金の引渡しがおこなわれた。大きな封筒に入った現金の重さを手に感じることができた。その重さは子どもたちの心の重さでもある。その後ドルトムント独日協会による福島支援事業のプレゼンテーションが行われた。福島の大自然の四季折々の写真を見る子どもたちからその美しさに感嘆する歓声が上がった。現在も続く福島の厳しい状況のお話しの後、最後に福島の子どもたちの沖縄滞在中のはじけるような笑顔を紹介し、この事業を今後も続けると約束すると子どもたちの顔に笑顔が広がり、大きな拍手が起きた。
どのような経緯で30万円もの大金を我々の支援事業に下さることになったのか尋ねた。まず福島の子どもたちのためにスポンサーランで集めたお金を使おうということになった。当地のメディアではもうあまり報道されないが、福島の問題はまだまだ火急な問題だと考えられた。インターネットで知ったドルトムント独日協会の支援事業について生徒たちと話し合った。その事業では子どもたちがプロジェクトの中心となっているから、という理由が決定的であったとのことだ。

2012年4月17日現在の義援金額 181.382 ユーロ(約1.900万円)(95.000ユーロ送金済)

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日本レポート – 2012年4月17日

外国協会(Auslandsgesellschaft NRW)の会長ヴェーゲナーご夫妻とともに、我々シュルターマン・ホルストおよび容子がドルトムント独日協会代表として3月末沖縄を訪問した。今回の訪日にあたり我々は2つの目的を胸に抱えていた。その一つは、独日協会が沖縄ユースホステル県協会と共同で行っているプロジェクト“Hilfe fuer Japan”の第二弾としてこの春休みに沖縄に滞在中の108人の福島の子供たちの様子をみること、そしてパートナーの福島誠司さんたちとプロジェクトの今後について話すことである。我々が沖縄で目にしたのは元気いっぱいの、真っ赤/真っ黒に日焼けした福島の子供たちの笑顔と献身的に子供たちの世話をする福島ご夫妻、スタッフの方々、そして昨年の夏休みに引き続き今回も少なからぬ学生を率いてボランティアで子供たちの指導にあたっている琵琶湖成蹊大学の黒沢教授たち、そしてヘルパーの方々の姿であった。大震災、津波そして原発事故という世界史上初の3重の災害を体験することになった108人の福島の子供たちを2週間お世話することの大変さは、現場で状況を目の当たりに見てはじめてわかる。その困難にあえて立ち向かう皆さんには本当に頭が下がる思いであり、適切な感謝の言葉も見つからない。

我々はプロジェクトのコストを可能な限り削減し、皆さんからいただいた貴重な義援金をより大切に使用し、プロジェクトをできるだけ永く存続させたいと願っている。そのために資金面および他の面での支援者とより一層密接な関係を維持し、拡大する必要がある。その意味においてこのたびの春休みの事業の子供たちの航空運賃を援助してくださった沖縄県には大変感謝しております。沖縄県は東日本被災者支援センターを設立し、積極的に被災者を受け入れており、すでに700人の被災者が沖縄に移住したとのことである。

ドイツと何らかの形で過去に関係があった、または現在その関係が続いている、または単にドイツが好きな人々の集まりである沖縄ドイツ協会理事長神谷氏、神谷夫人および協会の発起人の一人である我々の長年の友人早川氏と我々のプロジェクトについてともに語り、今後の支援を約束していただき、大変心強い味方を得た。

我々の訪日のもう一つの目的は、福島の現況をこの目で確かめ、福島の住民と話し、支援者との関係をさらに深めると同時に新たな支援者を獲得することであった。外国協会会長ご夫妻と那覇でお別れした後、我々は長年の友人である相馬市在住の石川氏に車で飯舘村、南相馬、福島市などを案内していただいた。持参した線量計は車中で測定したにも関わらず飯舘村近辺ですでに毎時2.5マイクロシーベルトを指していた。南相馬では一部線量が高いところもあったが、ほとんどは我々が住むウナ市と同じくらいであった。異なるのは、放射能を恐れて移住した人々が立ち去った家屋が、今住民が家を去ったばかりのような状態で人気もなく立っている風景で、それはある政治家がひんしゅくをかったが、まさに“死の街”そのものであった。南相馬では自らが被災したにもかかわらず、様々な支援活動をしている方や、市議会の議員の方から福島の厳しい現実についてお話を伺った。仮設住宅の住民が生きる勇気を失ってしまった現実、また家族がばらばらに生活せざるを得ない現実。命よりも家族が一緒に生活をするほうを選んだという話も聞いた。

福島市で“福島の子供を放射能から守る会”で活動する方々のお話を伺った。その母親の一人は息子さんが今回の春の事業に参加することができたとのこと。息子さんはとても元気に、大人になって帰ってきたとのことである。その会合に出席した母親たちが口をそろえて言ったことは、我々のプロジェクトを今後も長く続けて欲しいということ。一部参加費の自己負担を義務付けても全く問題ない、それでもできるだけ長くプロジェクトを続けてできるだけ多くの福島の子供たちを沖縄に連れて行ってほしいとのこと。今回参加した子供たちの半数は福島でマスクをつけて生活しており、またほとんどの子供たちは外で遊ぶ時間を制限されている。

福島県ユースホステル協会会長網田氏とこのたび福島市滞在中に我々が宿泊させていただき、大変お世話になったアトマゲストハウスの平野氏には、福島の素晴らしい、雄大な自然を見せていただいたばかりではなく、福島住民の抱える問題、プロジェクトの今後について大いに議論させていただいた。ここでも今後プロジェクト参加者にはある程度の自己負担をお願いすべきであるという意見が聞かれた。

東京に戻り武蔵小金井市で20年以上前に放射能測定室を市に設立するよう運動をし、おそらく日本で初めての市民のための放射能測定室を市に設置させた現在市議会議員の漢人さんと測定室の責任者の方にお話を伺った。市民はこのボランティアにより運営されている測定室に食料品を持ち込み無料で測定してもらえる。福島からも食料品が持ち込まれるが、そのほとんどが基準値以下であるとのこと。これらの検査を徹底して行い、市場に出ている福島産の食品は絶対に基準値以下であると人々の信頼を得られたとき、復興の最大の障害となっている風評被害から福島は解放されるであろう。当時数か所しかなかった測定室が震災後の現在主に福島県を中心として全国に現在80か所存在するとのことである。(ちなみに日本の基準値はドイツのそれよりもずっと厳しい)

日本滞在もそろそろ終わろうとしている。多くの友人、知人の援助で短時間に効率的に多くの方々意見交換することができた。我々はパートナーに耳を傾け、今後のプロジェクトに反映させたい。そしてプロジェクトが今後も永く続くようより一層努力したい。

最後になりましたが、我々の日本の家族、友人たちの多大な声援と援助に心から感謝いたします。

ドルトムント独日協会
シュルターマン容子
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2012年4月13日現在の義援金額 177.182 ユーロ(約1.700万円)(7万ユーロ送金済)

2012年3月11日、あの恐ろしい災害から早一年経ちました。被災者の皆様には心から追悼の気持ちを述べさせていただきます。被災者の方々を始め日本人・日本を勇気付けようとドルトムント独日協会は追悼和太鼓チャリティコンサートを企画しました。一年というのは普通長い期間です。その間それぞれの人間のそれぞれの人生にいろいろな出来事が起こります。被災者の皆様には昨日のことにように思われても、多くの人々にとってはもう過去のことかも知れません。忘れられてしまったのでは、そんな危惧を持ちながら開催したコンサートでしたが、当日は350座席と50の立見席が満席になり、数十人の方々が残念ながら入場できない状況になりました。その方々には大変申し訳なかったのですが、幸運にも入場できた方々は、コンサートが終了したとき皆口々に『すばらしかった!今後もがんばって!』と感想を述べ、我々関係者は一様に勇気付けられました。外国協会会長クラウス・ヴェーゲナー氏の挨拶と黙祷で始まり、独日協会会長シュルターマン容子氏による福島の現状についてのお話し後、力強く、工夫を凝らしたそれぞれの持ち味を生かした3つの和太鼓グループによる演奏に聴衆は魅せられた。
KiBo太鼓を率いるモニカ・フォルマー氏、Senryoku太鼓のペーター・ヴィーゲルマン氏、Amaterasu太鼓の伊藤さゆり氏をはじめ、軽食、飲み物を寄付してくださったケータリング会社社長のザーシャ・ニース氏、会場を無料で開放してくださったオーケストラセンター、会場でお手伝いしてくださった外国協会の方々、女性平和団体のマーグレット・ウルリッヒ氏等、皆様の援助なくしてこのようなイベントの成功はありませんでした。この場をお借りしてもう一度お礼を申し上げます。
3.000ユーロの義援金をいただきました。ありがとうございます。

2012年2月28日現在の義援金額 170.549 ユーロ(約1.700万円)(7万ユーロ送金済)

2012年2月11日、ドルトムント独日協会、IPPNW(核戦争防止医師会議)及びドルトムントの女性平和団体の共催で“福島その後”と題しパネルディスカッションが開催された。まずシュルターマン容子氏が日本の状況、福島の現状について話し、続いて小児科医であり放射線の専門家.ローゼン博士、および小児外科医でチェルノブイリの子供たちの治療にあたったピーパー教授・博士がそれぞれの立場から話をした。ドイツでも東日本大震災に関する報道が激減する中、来場者の数が危ぶまれたが主催者の期待を上回るおよそ120人がホールを埋めた。講演後の出席者と講演者の質疑応答に会場は更に盛り上がり散会となった。ビラにも書いてあり、義援金箱も置いてあったが義援金を改めてお願いしなかったのは失敗。今となっては後の祭り。しかし数人の出席者の方々が“ヒルフェ フュー ヤーパン”プロジェクトを支援してくださると約束してくれた。

2012年2月2日現在の義援金額 169.424 ユーロ(約1.690万円)(7万ユーロ送金済)

2012年1月9日、ドルトムントの郊外に所在するNPO《村の協会》 (会長:ギュンター・フェルジング氏)は、昨年他の協会・団体と共同で幼稚園、学校、家族たちを招待し、名実ともに村を上げてのファミリー祭りを開催した。3ヶ月かけてその準備が入念に行われた。その収益の3分の1を日本の被災者のために使ってもらうことが理事会で決定された。さて、何処に寄付しようかと考えたときに、独日協会の会長シュルターマン容子氏が行っているプロジェクトに使ってもらおうということになった。氏による福島の現状のお話しを聞いた後、ファミリー祭りの収益金400ユーロに加え、出席者によりその場で集められた義援金150ユーロが手渡された。

2012年1月、新年早々ドイツユースホステル協会の州協会ノルトマークから吉報が届いた。昨年11月に日本の使節団が、日独政府間で40年来行われている日独青少年指導者交流の一環として北ドイツを10日間訪問した。平野団長は福島県ユースホステル協会の副会長であると同時に福島市でアトマゲストハウスを運営している。通訳としてドルトムント独日協会会長のシュルターマン容子氏が同行した。平野氏とシュルターマン氏は、訪問先で福島の子供たちを支援するプロジェクト„Hilfe für Japan“を紹介し、窮状を訴えた。ホストであるドイツユースホステル州協会ノルトマークは、12月7日の理事会でこのプロジェクトを支援することを決定し、当州協会管轄区の全てのユースホステルにプロジェクトを紹介するチラシおよびポスターを掲げ、義援金箱を設置しホステラーの方々に義援金を募ることにした。

2012年1月10日現在の義援金額 168.258,66 ユーロ(約1.650万円)(7万ユーロ送金済)
注:円高による為替レートの変動により義援金が再び目減りしてしまいました。(1ユーロ≒98円)

2012年元旦: 新年明けましておめでとうございます。
悪夢のような2011年も過ぎ去り、岩手、宮城、そして福島および他県で被災された方々にはどのようなお気持ちで新年を迎えられたことかとお察しし、心が痛むばかりです。
新年が世界中で災害の少ない明るい年となることを祈って止みません。
我々のプロジェクトを昨年同様支援してくださる方々に励まされ、ドルトムント独日協会は2012年も引き続き義援金活動を行います。そして資金の続く限り福島の子供たちを沖縄にご招待いたします。次回の事業は春休みの3月24日から4月5日までの期間行われます。日本のパートナーである沖縄県ユースホステル協会(担当責任者:福島誠司)ではすでに受入れの準備が始まっています。
春の事業の実施期間中我々独日協会の理事は外国協会の会長夫妻と共に訪沖することになりました。ドイツで当方のプロジェクトに多大なご支援を下さった多くの方々の励ましの言葉を日本の皆様にお伝えしたいと思います。
ドイツのみならず日本の皆様にも今後も是非当方のプロジェクトをご支援くださるよう心からお願い申し上げます。

ドルトムント独日協会会長, シュルターマン容子

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